何かを大切にするとは


どうやったら

自分が大切に思ってることを大事にできるんだろうか。

大切なものは大切だって?
例えば、私はずっと、ハスキー犬を飼うのが夢だけど
将来の夢を聞かれて、ハスキーが飼いたいと思っても

じゃあ大きな家じゃなきゃダメだね、と言われたら
でも、黒柴でもいいかも、とか言いそうになる。

そうやって
「あ、でも」とか
「こうかもしれないから」
とか考えてるうちに
自分が大切にしてることもブレて薄れて
妥協点を見つけるのばっかりうまくなって
それが大人になることだと言われればそうかもしれないけど。

でもそれって、誰のためなんだろう。

そんなときに、自分の要求とか、好きだとか嫌いだとか、真っ直ぐに伝えられる人に会うと
自分の縮こまってるかんじが際立って
別にその人のことが好きじゃなくても、こんな人といれば楽なのかもしれないと思って
また、自分の判断ができてないみたいで落ち込んで。

そもそも、自分で判断なんてしなきゃいけないんだろうか?
じみへんでも、大事な判断は自分でしちゃダメだ。他人に決めてもらって、他人のせいにするんだ、って書いてあったけど
そんな逃避した考えをしてみる。


でもそう考えてる先から
人のせいにするより自分のせいにするほうが楽だと思ってる自分もいる。



はっきり言える人が羨ましいと思う反面
なんであたしはこうなんだ?ストーカー事件のせいか?
前までもっと自分の考えが言えてたはずだ
と思ってたけど

確かに、自分のことを阻害された気がしてたけど

よくよく考えれば、あたしはずっと
相手に合わせて、相手がどう思ってるか考えて反応してきた。

セックスするしないだって
相手はやりたい、自分は別にしなくていい。
でも、断る労力を考えたらやるほうが楽だと思ってた。


あたしはたぶん、ずっとこうだった。
だから失ったものを嘆くんじゃなくて、獲得しなきゃいけないんだ。

機能的文脈主義の考えを使ってみても
相手にストーカー行為に走らせるのは、自分のやり方が関係してないわけはない。
自責的になってるわけじゃなくて
結局そう考えるほうが建設的な気がする。

だって、「自分のせい」がまったくなくなったら
自分の人生は誰かに左右されることになるんじゃないか。
それなら、やっぱりちょっとしんどくても、自分のせいを作っておきたい。

これは「あたしが」大切にしてることに違いない。