寒空と藤田嗣治展と日本酒の日曜日


今日はなんと京都に初雪が降ったらしい。
どうりで寒いと思った。

1ヶ月ちょっとぶりに行った京都は藤田嗣治展。

ポスターで見て初めて知ったんだけど
来週をリミットに控えて行けてよかった。
こういうのは「よし、行くぞ」と思って腰を上げないと行けないもんね。

今回の展示会は
彼がパリに行ったあたりからの作風の変化をすごくきれいに魅せてあって
藤田嗣治に初めて触れる私にはちょうどよかったかもしれない。

パリに渡ったのは26歳で今の私と同じ年。
行く前はパリの風景とかを書いてるただのおじさんかと思ってたけど
そうやって見ると、1人1人の人生があるんだな、と改めて思う。

パリに行った当初のなんとなく不安そうな顔と雰囲気と
防衛的な表情の人々の顔。

それに、売れなきゃやっていけない、っていう
芸術と現実の本音と建て前みたいな部分もなんか垣間見える気がした。

そこから10年、20年でいかに自分の画風を作り上げるか。
藤田ワールドを築きあげなきゃいけない。

1918年あたりで何枚描いたのかというくらい。
10年代後半から20年代の変遷も面白い。

なんか、そのあたりの時代だからもちろん戦争の時代なんだけど
このあたりの時代には有名な画家さんが多いよね。
ピカソシャガールもブラックも
それとも今の年代に取り上げられやすいのかわかんないけど。

すごく興味深かったのは
第二次世界大戦で日本に帰ってきて
その後の線画がすごく洗練されたことかな。

それまでって全体的にふわっとしてて
人物がいるけど風景と一体になってて実体がなさそうなかんじで。

あんまりファンタジー的な絵は描かないんだなーと思ってみてたら
戦後に人魚とか動物が裸婦の周りを囲ってる絵で、そのタイトルが「夢」だったり。
ファンタジーを描くにはそれなりの強さがいるのかな、と思ってたんだけど
そういう準備ができたのかな、と思ってみてたりした。

ダリとかのシュルレアリスムの人が絵を描くときに
いわばトリップ状態というか、意識と無意識の中間を目指したみたいに
ファンタジーを描くにはそれ相応の気概がいるんじゃないかと思っている。



その後、久しぶりの芸術鑑賞に満足して
その後は二度目の京都タワーサンドで鳥せい
生原酒おいしい。
満足の日曜日だった。